エルビス・プレスリー物語 第1話 少年時代

幼年期~少年期……“エルビスは双子だった” 
 本名は“Elvis Aron Presly(エルビス・アーロン・プレスリー)”。1935年1月8日に父バーノンと母グラディーズのもと、アメリカのミシシッピー州ツペロで生まれた。エルビスは双子だった。最初に生まれた男の子ジェシー・ガーロンは死産でした。その35分後にエルビス・アーロンが生まれた。エルビスは15才まで学校へ母親に送り迎えしてもらうほど母の愛情を受けて育った。母親のグラディーズは、もう一人いるはずの息子を亡くしたことからエルビスに二人分の愛情を注いだ。同世代の若者から「意気地なしの男の子、マザコン少年」とこれが原因でいじめられることがあった。
ゴスペル・ソングから学んだ
 幼いころから音楽に興味があった。3才の頃に教会で母親の膝の上におとなしく座って説教を聞いていたエルビスは、教会の聖歌隊が歌い始めると、体を動かせてダンスしたり、歌詞を真似て賛美歌を歌っていたという。日曜日の午後に教会の外で黒人の歌うゴスペル・ソングを聴いていたという伝説があり、エルビスは「教会のゴスペル・ソングから学んだ」と言ったことがある。ラジオから流れるカントリー・ウエスタン、スウィングやクルーニング(ハミング)・ポップ・ミュージックもよく聴いていた。

 世界中で最も人気を得たエンタテイナーとなるエルビスのそのユニークな歌い方や音楽スタイルは、この頃に開発され発展していったのである。1968年のカムバック・テレビジョン・スペシャルで「ロックン・ロールは、基本はゴスペル・ミュージック、またはゴスペルとリズム&ブルースをミックスしたもの」だと公言している。




観衆の前で歌う初めてのステージ
 彼がローホン小学校の5年生の時、レッド・フォーリーのカントリーバラード「オールド・シェップ」を教室で歌い出した。それを聴いていた彼の先生(ミセス・オレッタ・グリムス)は、エルビスのすばらしい歌声を気に入って一年に一回行われるミシシッピー/アラバマ・フェアーでタレント・コンテストに出られるようにと校長先生(J.D.コール)に話した。観衆の前で歌う彼の初めてのステージである。10才のエルビスは背が低かったのでマイクに届くように椅子の上に立ってバックの演奏なしで「オールド・シェップ」を歌った。このイベントは、ツペロのWELOラジオで放送された。このコンテストで2等賞となり5ドルの賞金と遊技場のすべての乗り物のフリー・チケットをもらった。
 11才の誕生日に母親からギターを買ってもらったエルビスは、二人の叔父から基本的な弾き方を習った。後はポピュラー・ソングを聴きながら独学でマスターした。



一家が破産、メンフィスに転居
 ある日、定職を持たない父親が法律で販売を禁止されていたウィスキーを売ったことで刑務所に入った。しかし、町の権威者がエルビス一家の貧しい生活を見かねて、2週間以内にツペロの町を出ていくことに同意したら釈放すると決めた。
 「俺たちは破産したんだ。それでツペロを出ていったんだ」「親父が家財道具を箱に詰め、1939年型の自動車プリモスのトランクに積んでメンフィスに向かった」と後に語っている。