第36話 不運な出来事

サリヴァン・ショーの出演後、マネジャーのパーカーは、プレスリーのテレビ出演料を5万ドルから30万ドルに引き上げた。その結果、1960年に軍隊を除隊して戻って来るまでテレビに出演する事はなかった。

それにも関わらず、1956年はエルヴィス・プレスリーにとって大躍進する年であった。

彼はメイジャー・レコード会社RCAとの取引に署名し、そして、彼のレコードはビルボード・チャートの主要3部門でトップに立つと共に、ラジオで最も多く流されたレコード歌手もエルヴィスであった。また、定期的に行われる彼のコンサートのチケットはすべて売り切れた。

彼は十代の男の子(ティーンエイジ・ボーイズ)の反逆の役割をするモデルとなり、十代の女の子(ティーンエイジ・ガールズ)の淫らな想像をさせるアイドルであった。
そして、すべてが最高の視聴率となるテレビの歴史上最も多くの人々が見たエンタテイナーだった。

貧しくても、もがきながら奮闘して歌い続けたエルヴィス・プレスリーは、1年も経たないうちに、新しい音楽「ロックン・ロール」のキングとなりミリオネアー(大富豪)になったのである。

しかし、1956年、エルヴィスは一つの失敗をした。パーカーがラスベガスのニュー・フロンティア・ホテルで4月23日から2週間出演する契約をすることになっていた。1950年代のラスベガスは、ニューヨークに次いで2番目に大きなショー・ビジネスの町だった。

パーカーは、ヴェガスでセンセーションを巻き起こすと思った。
ところがこの契約は、不運な災難を引き起こすこととなった。

写真:1956年の年末に撮ったもの。