第34話 テレビでは、ヒップの撮影を禁止された

プレスリーの裏番組で、その夜、テッド・マックのオリジナル素人番組「全国アマチュア・タレント選手権」が放送されていた。

そのショーの決勝進出者の中に、ロカビリー歌手のジョニー・バーネットがいた。ジョニーは、以前エルヴィスが務めていた会社“クラウン・エレクトリック社”で一緒に働いていた仲間だった。(*ジョニー・バーネットは、日本でも「片目のジャック」「夢見る恋」等のヒット曲で知られている)

エルヴィスが10月28日に2回目のサリヴァン・ショーに出演をしたとき、司会者であるエドは新しい「ロックンロールの帝王」を紹介するために舞台上にいた。しかし、彼はテレビ撮影では決してエルヴィスと話そうとはしなかった。

しかし、サリヴァンは、エルヴィスが初出演した映画「ラブ・ミーテンダー」の監督であるロバート・ウェッブとインタビューした。

エルヴィスは「ハウンド・ドッグ」「冷たくしないで」「ラブ・ミー・テンダー」「ラブ・ミー」そして「ハウンド・ドッグ」を歌った。その後、ミリオン・セラーとなった「ラブ・ミー・テンダー」の“ゴールデン・レコード”が贈呈された。

エドサリヴァン・ショーの3回目の出演は、1957年1月6日で、おそらく彼の最も悪名高いものであった。

サリヴァンは視聴率ではとても高い評価を得たことを喜び、自分のショーに若いロックンローラーが出演する事によって、重要なマスコミからの注目を浴びた。
しかし、プレスリーのライブパフォーマンスでの明白な性的関心を少し心配するようになっていた。

エルヴィスの揺れるヒップとドンドンいう骨盤は、その時メディアの見出しの格好の材料となった。

国中のPTA、そして教会と市民グループは、激しく抗議した。
サリヴァンは、エルヴィスが何かを彼のパンツに詰め込んでいて、それを若い女の子に

向かって振っていたという噂にひどく気にかけるようになった。
そこで、最終的にサリヴァンは、エルヴィスのウエスト(腰)から上だけを撮影するように命令した。そして、うまくすべての「骨盤の問題」を避けたのであった。


写真:サリヴァン・ショーで歌うエルヴィス