第33話  エド・サリヴァン・ショーで驚異的な視聴率82.9%

あのショーに出て良かったことは、エド・サリバンの注目度を増したことだった。

サリヴァンは、エルヴィスの観客動員力をもはや無視することができなかった。
スティーブ・アレンはその夜、テレビ視聴率55パーセントを獲得したのに対して、サリヴァンは15パーセントしかなかったのである。

それで、プレスリーに対して「私のショーに彼が出演する事はない」と以前に宣言したにもかかわらず、サリヴァンは彼と3回の出演契約を結んだのだった。
例によって、エルヴィスのマネジャーであるトム・パーカーは、手強い交渉者であることを証明づけた。

エルヴィスは3回の出演料として、50,000ドルを受け取った。今までに、テレビのバラエティー・ショーでこれほどの高額を受け取ったタレントは誰もいなかった。
テレビは若いレコード・スターにとって最も重要な会場であった。そして、エド・サリヴァン・ショーは、テレビ・バラエティー・ショーの頂点であった。

サリヴァンは、元新聞のコラムニストで、日曜日のゴールデンタイムの夜の時間帯を支配していた。

プレスリーのサリバン・ショーの最初の出演は、1956年9月9日であった。
サリバンは、8月6日、コネチカット州のシーモアにほど近いところで車と正面衝突するという大事故を起こしたので、彼自身はショーに出ることが出来なかった。

その日は、チャールズ・ラーフトンが、ホストとしてサリヴァンの代わりに出演した。
エルヴィスの歌は、ニューヨークとハリウッドを結び中継で放映され、「冷たくしないで」「ラブ・ミー・テンダー」「レディー・テディー」そして「ハウンド・ドッグ」の4曲を歌った。

この日のショーのゲストはエルヴィスの他に、ドロシー・サーノフ、エーメン・ブラザーズ、ザ・ヴァガボンズとインディアン・ヴォーカリストのアムル・サニが出演した。
プレスリーのサリヴァン・ショー初出演の評価は、びっくり仰天するほどの視聴者数だった。

ショーの視聴率が何と82.9パーセントに達したのである。これはテレビ所有者の5人中4人が見たことになる。

この驚異的な数字は、断然テレビ史上で最高のものと評価された。1964年にビートルズが、エド・サリヴァン・ショーに出るまでこの記録は破られることがなかった。


写真:エド・サリヴァン・ショーで「ラブ・ミー・テンダー」を歌った時のエルヴィス・プレスリー