第29話 人気と共に非行者の烙印を押される

1956年までのプレスリーの人気は、主にアメリカの南で南西部に限られていた。
しかし、コンサートやミルトン・バール・ショーのテレビ出演、そしてレコードがヒット・チャートのトップの座を獲得する事によりエルヴィスは、アメリカ国中の人々の脳裏に否応なしに焼き付くことになるのであった。

そしてまた、アメリカのほとんどの若者が新しい音楽の才能がある救世主としてエルヴィスを受け入れはじめた。
しかし、多くの大人たちは今まで培ってきた国の価値感とモラルに反する危険な脅威とみなしたのであった。

宗教指導者が、公然と「エルヴィスがティーンエイジャーに対していかに腐敗させる悪影響を与えている」かについて話すというこれまでにはなかった事態も起こったのであった。

彼らは、エルヴィスがアメリカの若者に取り返しのつかないダメージを与える前に、厳しく躾る必要がある非行者と決めつけたのであった。

ライフ誌は、1956年プレスリーの特集記事で「種類の異なるアイドルと言い、ひどく市民のリーダーや聖職者と一部の両親との間で不穏な状況となった」と報じた。
ニューヨークのグリニッジビレッジ地区にあるセント・ジョンズ・エスピコカル教会のチャールズ・ハワード・グラフ師は、プレスリーを「セックスの托鉢僧」とまで言った。

中西部の一部のラジオ局は、プレスリーのレコードとロックンロール音楽の放送を禁止した。この状況下で、皮肉にも多くの主流アメリカ人がプレスリーを彼らの子供たちにとって悪影響を及ぼす者とみなした。

プレスリーの荒々しさの裏側には、本来の素朴な人間性があった。年上の人には敬語を使う礼儀正しい、正直で誠実な青年であった。また、ペプシ・コーラのような炭酸の強い飲み物は飲まず、特別な時にだけ吸う葉巻以外は一切たばこは吸わなかった。

エルヴィスは21才で、もうすぐにミリオネアー(百万長者 *現在なら億万長者)になるけれど、郊外で質素な家に両親と共に住んでいた。
エルヴィスにとって家族は最も大切なものであった。彼は母との強い絆があり、死ぬまで彼の近くで家族を養い続けることだった。

娯楽のために、エルヴィスは映画、遊園地とローラースケートリンクに行くのが好きでした。しかし、人気が出て認知度が上がるに連れて外出も難しくなってきた。

彼が映画を見るか、ローラースケートに行きたい時は、営業時間が終了した後に劇場またはローラースケート場を貸し切って、彼の友人全員を招待した。

エルヴィスの余暇は、徹夜して遊び日中に寝るというパターンで、彼のこのような過ごし方は生涯の習慣になった。