第26話 ハートブレイク・ホテルが全米ナンバーワンになる

1カ月も経たないうちにこの曲は、ビルボード・ポピュラー・ミュージック・ヒット・チャートでトップ40に飛び込んできた。4月になって「ハートブレイク・ホテル」は、6週間トップの座にいた「ザ・プアー・ピープル・オブ・パリス(パリの可哀いそうな人々)」(レス・バクスター)を抜いてヒット・チャート・ナンバーワンとなった。

年4月21日に1位になってから8週間連続でトップの座にいた。
この歌は、ビルボードのカントリー・ミュージック・・ヒット・チャート及びリズム・アンド・ブルース・ヒット・チャートでもナンバーワンとなった。

今までに、ビルボード・ヒット・チャートの3部門すべてにおいてナンバーワンになったのはこの曲は初めてのことであった。しかも、この曲はエルヴィスにとって最初のミリオンセラー・ヒットとなった。現在までに1800万枚以上売りあげた。これにより、プレスリーは全米でスポットライトを浴びることになった。

「ハートブレイク・ホテル」「アイ・ガッタ・ウーマン」「アイ・ワズ・ザ・ワン」の他に
ドン・ロバートソンの作った「アイム・カウンティング・オン・ユー」と1953年にドリフターズが歌ってヒットした「マニー・ハニー」をレコーディングした。このレコードは1956年の9月にリリースされたが、「ハートブレイク・ホテル」ようなヒットにはならなかった。

エルヴィスが流星の如くスターダムに昇った大きな理由の一つにテレビがあった。 当時、まだアメリカは相対的に新しいものを発見する事に魅了されていた。

1950年代中頃、バラエティ・ショウが最も人気のあるテレビ番組であった。
マネジャーのコロネル・パーカーは、エルヴィスをテレビに出演させることが、全国に知らしめる一番良い方法だと分かっていた。

エルヴィスの歌はニュー・ミュージックであり、新鮮でエキサティングであったし、生演奏を通じてエルヴィスの素晴らしさが表現できると考えた。エルビスのバンドは、絶え間なく南部各地のツアーを続けた。

しかし、ほとんどがカントリー・ミュージック・ショーの開催地やカウンティー・フェアー等に限られていた。

全国に放映されるテレビに出演する事が、プレスリーを売り出すのに効果的であるのは明らかであった。それなしでは、エルヴィス・プレスリーは「キング・オブ・ロックン・ロール」の頂点に立つことが出来ないかも知れないと思った。

そこでパーカーは、エルヴィスがRCAで最初にレコーディングをした時と同じように、当時の人気テレビ番組「トミー&ジミー・ドーシー・ショー」に出演の交渉をした。
その結果、そのステージ・ショーに4週連続で日曜日に出演する事が決まった。1回の出演料が1250ドルでエルヴィスはサインした。 

後に、プレスリーの人気が上がり出演回数も6回に増えていった。

*写真は「トミー&ジミー・ドーシー・ショー」に出演中のエルヴィス・プレスリー。