第24話 そうそうたるメンバーとのセッション

1956年が始まったのと同じように、エルヴィス・プレスリーは、スターの地位を得る間近まで来ていた。プレスリーの時代が始まる予感であった。

エルヴィスは、カントリー・アンド・ウエスタン歌手だけではなく、白人のリズム・アンド・ブルースの熱狂者でもなく、また、ディーン・マーティンのようなバラードを歌うタイプでもない。しかし、カントリー・ミュージック・ファンが今までに見たことがなかったロックン・ロールのティーン・アイドルとしてスターダムに昇っていくであろうことは間違いなかった。

21才のエルヴィス・プレスリーは、メジャー・レーベルでの最初のレコーディングのために、ナッシュビルのRCAスタジオに向けて出発した。
1月10日と11日に行われた初のRCAセッションは、RCAの役員でアーティスト&リパートリアーのスティーヴ・ショールズとナッシュビルの伝説的ギター名手、チェット・アトキンズによって制作された。

アトキンスは、テネシー州のルッテレルからナッシュビルに来ていた。スティーヴ・ショールズは「キャンド・ヒート」のアトキンスのレコードを聞いて、若いギタリストの妙技に感動していた。

アトキンスは、セッション・ミュージシャンとして他のアーティストのバック演奏をしたり、彼自身のギター演奏のレコーディングなどを通して後にプロデューサーとなり、ナッシュビルの音楽担当になった。1960年に、アトキンスはRCAのアーティスト&リパートリアー・マネージャになり、1968年に、彼は副社長になった。

アトキンスは、プレスリーについて「エルヴィスがやって来たとき、彼がやることはすべての点で違っていた。彼はリズム感があり、リズムから入っていく音楽を始めた最初のシンガーだった。彼は違った服を着て、我々がこれまでに見たことがない違った動きかたをしていた。本当に衝撃的だった。私は、彼のようなユニークな歌手は他にはいないだろうと思う」と語った。 

また、その最初のRCAセッションでエルヴィスをバックアップするのは、彼のツアー・バンド — スコッティ・ムーアとビル・ブラックそして新しく加入したドラムのD.J.フォンタナだった。

そして、ピアニストがフロイド・クレイマー、ヴォーカリストがゴスペル・ヴォーカル・カルテット(四重唱)、ジョーダニアーズのリーダー、ゴードン・ストカー。また、バックのヴォーカリストがスペーア・ファミリー・ヴォーカル・グループのベンとブロック・スペーアだった。そうそうたるメンバーがエルヴィスを支えたのだった。

写真:初期のレコーディングでプレスリーのプロデュースをしたチェット・アトキンス。カントリー・ミュージック界の伝説的ギターリストである。