第23話 マネジャー、パーカー実力を発揮

同時に、パーカーはエルヴィスの音楽出版権を保持するために、ニュー・ヨークに拠点を置く「ヒル&レンジ・ミュージック」社によって管理されているサム・フィリップスの「ハイ・ロー・ミュージック」を15000ドルで買収するために協議した。

取引の一部として、実際のソングライターから著作権使用料にフィルターをかけるために、ヒル&ミュージック社は2つの子会社「グラディス・ミュージック」と「エルヴィス・プレスリー・ミュージック」を設立した。

この音楽出版に関する契約は、ミュージシャンのマネジャーとしての手腕を深めると言うよりはむしろ、あぶく銭を取りに行くことが主たる目的であった。これが、コロネル・パーカー流の完全なやり方であった。

この取り決めで、エルヴィス・プレスリーに歌を提供する作曲家及び作詞家は、印税の一部を「エルヴィス・プレスリー・ミュージック」と「グラディス・ミュージック」の2社が取るために、彼らの一部分の印税を断念する事に同意しなければならなかった。

この条件のため、その時代の最も有名な作詞作曲家の多くは、自分たちの著作権使用料にしがみつくためにエルヴィスから離れて傍観していた。
エルヴィスがこれまでに録音した最悪の歌の多くは、ヒル&レンジで働いた作家の何人かが書いたものだった。そして、大部分の歌を彼の映画で使った。

エルヴィス・プレスリーとコロネル・パーカーそしてサム・フィリップスの3人は、1955年11月20日、「RCAビクター」と「ヒル&レンジ」との契約を成立させた。
40000ドルの総額は、一人の歌手にレコーディングと出版権利に対してこれまで支払われた中では最も大きな金額であった。

RCAビクターは、エルヴィス・プレスリーを売り出す権限とその投資に関してのすべての費用も保証した。 プレスリーは、投資してもそれだけの価値があるとRCAビクターは見抜いたのである。

エルヴィスは、1977年8月に死ぬまで、他のどのアーティストよりもはるかに多い5億枚以上のレコードを売った。

単独でこの取引を通して、パーカーはエルヴィスを現代の音楽シーンの最前線に投げ込みました。それでも、パーカーは決して終わらなかった。次に考えたことは、全国テレビに出演させることだった。パーカーは、アメリカ中の家庭のリビングルームでエルヴィスを見られるようにとすでに交渉していた。

パーカーはエルヴィスに言った;「君は優秀でそしてセクシーなタレントとしてそのまま続けていけば、君も私も両方とも王様のように裕福になるだろう」