第19話 コロネル・パーカーと正式に契約

パーカーは、自分のやり方で徐々にエルヴィスの生活と仕事の中に入り込んでいった。彼はエルヴィスの父ヴァーノンの友人となり、そして、彼の貪欲に訴えて、息子はスターになり金持ちになることを約束し彼がその気になるように持っていった。

母親のグラディスは、パーカーの申し入れを受け入れることは半信半疑だった。彼女はパーカーが信用できる男とは思はなかったからである。それでも、彼には優れた商才があると認めなければならなかったのである。

パーカーは、エルヴィスのショーでますます多くの予約を開始した。そして、1955年に、彼はプレスリーのマネージャーとして引き継ぎ本格的に動き始めた。
1955年8月15日、エルヴィスは彼の唯一のマネジャーとしてコロネル・トム・パーカーを雇用する契約書にサインした。

彼のサービスのために、コロネルはプレスリーが稼いだ全てのお金の25パーセントを受け取ることになった。エルヴィスがパーカーとの契約にサインしたとき、彼は1955年3月15日までボブ・ニールとの契約期間がまだ公式には残っていた。

本質的には、エルヴィスがパーカーとの契約のときに、二人とも同じ仕事をするためパーカーに25パーセントとニールにも15パーセントを支払うことに同意した。

しかし、1955年の最後の数ヶ月、ニールは名義上だけのマネージャーだった。エルヴィスはニールに対して多くの恩義を感じていたが、パーカーにはあったコネクションがニールにはなかった。

そして、パーカーをマネジャーにすることによって自分自身の芸歴が進歩し続けそうならば、最高の選択であったことも充分に理解していたのだった。
エルヴィス・プレスリーを失ったボブ・ニールは、サン・レコードのサム・フィリップスと共にマネジメント会社「スターズ株式会社」を立ち上げた。

1958年、ニールは最初にカントリー・シンガー“ジョニー・キャッシュ”のマネジャーとなった。続いて、カール・パーキンス、ジェリー・リー・ルイス、ロイ・オービソン、コンウェイ・ツイッティー、ソニー・ジェームス、ウォーレン・スミスなどロックン・ロールとカントリー・ミュージックの有名歌手をはじめサン・レコードに所属するアーティストのマネジメントも行った。

写真;ロマンスが囁かれたハリウッド女優のナタリーウッドと。
エルヴィスの友人で俳優のニック・アダムスからナタリー・ウッドを紹介された。