第16話 4枚目のシングルが全米でヒット

ニールは、1955年5月に、エルヴィスの最初のメイン・ツアーを予約した。これは3週間の仕事で、カントリー・ミュージックの大御所が顔を揃えた。マザー・メイベル、カーター・シスターズ、ウィルバーン・ブラザース、スリム・ホイットマン、ファーロン・ヤング、そしてハンク・スノーとそうそうたるメンバーが出演するショーであった。

ツアーは、南部の主要なミュージック市場のすべてを標的にぶつけた。ナシュビル、ヒューストン、ダラス、ニューオリンズ、リッチモンド、セント・ルイスなど大都市と同様に中間で小さな町にも立ち寄りエルヴィスを売り出すツアーとなった。

同時にサン・レコードは、プレスリーの4枚目のシングルをリリースした; 「ベイビー・レッツ・プレイ・ハウス」/「アイム・レフト、ユー・アー・ライト、シーズ・ゴーン」(Sun217)。
 
このレコードの売れ行きは、コンサート・ツアーを行った都市では非常に強かった。
より重要なことは、このレコードの販売が全米の市場にまで広がり始めたことであった。「Baby Let's Play House」は、今までに出したエルビスのシングル・レコードの売り上げ記録を突破した。

この歌は、ビルボードのカントリー・ヒット・チャートで10位となり、このチャートに15週間残っていた。また、カントリー・ディスク・ジョッキー・チャートの5位に到達したのであった。

この成功に気を良くしたサン・レコードは、「ベイビー・レッツ・プレイ・ハウス」に続いて、「ミステリー・トレイン / アイ・フォガット・ツー・レメンバー・ツー・フォゲット」(Sun 223)を1955年の夏にリリースした。

この”ミステリー・トレイン”は、1930年にカーター・ファミリーが歌った「ウォーリード・マン・ブルース」を元にしてサム・フィリップスとハーマン”リトル・ジュニア”パーカーによって1953年に書かれた歌である。

プレスリーのレコーディング・セッションにはいつものようにスコッティー・ムーアとビル・ブラック、そして今回は、ドラム担当のジョニー・バーネロも加わった。(DJフォンタナは、1955年の終わり頃にエルヴィスのためにドラムの演奏を始めた。ナッシュビルでセッション・ドラマーとなって辞める1969年まで続いた。

しかしながら、フォンタナはプレスリーのサン・レコードでのレコーディングでは全く演奏しなかった)
「ミステリー・トレイン」は、ビルボード・カントリー・ミュージック・チャートで11位となり、前作の「ベイビー・レッツ・プレイ・ハウス」(10位)のチャート順位に匹敵するヒットで人気と実力を証明することとなった。


写真は、エルヴィスとバックで演奏するギターのスコティー、ベースのビル。そして、隠れて見えないがドラマーがDJファンタナ。