第15話 エルヴィス、マネジャーを雇う

1954年10月10日にエルヴィスとスコッティーそしてビルの3人は、3枚目のシングルレコードを録音するためにスタジオに戻った。

A面は「ミルクカウ・ブルース・ブギ」で、これは1935年にジェームス“ココモ”アーノルドが作曲したリズム&ブルースで「ミルクカウ・ブルース」と言うタイトルだった。

B面は「ユー・アー・ハートブレイカー」で、このジャック・アルヴィン・サリーの曲が1953年にカントリー・シンガーの“ジミー・ヒープ”によって最初にレコーディングされたものである。

最初にプレスリーが出したレコードは、リズム&ブルースとカントリーの組み合わせだった。今回もそれをベースにしたものだった。エルヴィス、スコッティー、ビルそしてサム・フィリップスが作り上げたロックン・ロールがミュージック・シーンの最前線へと躍り出てきた。

レコーディング・スタジオで編み出した彼らの音楽は、今まで誰も創り上げることが出来なかった“メイジャー・ミュージカル・イノベイション(偉大な音楽の革新)”を遂にやってのけたのだった。

「ミルクカウ・ブルース・ブギ / ユアー・ア・ハートブレイカー」は、エルヴィス・プレスリー・サウンドを印象つけたが、売れ行きはあまり良くなかった。ミュージック・チャートに少し出ただけだった。そしてビルボード誌もこの曲を取り上げなかった。
彼のレコードの売れ行きも横這いになってきた。しかし、エルビスの実演は相変わらず人気があった。

1955年1月1日に、サム・フィリップスとスコティー・ムーア両方が主張を言い始めたときに、エルビスは最初のフルタイム・マネージャとしてメンフィスでDJとプロモーターをしているボブ・ニールを雇った。

ニールは、1917年にベルギーのコンゴで生まれ、1930年に彼の家族と共にアメリカにやってきた。1940年にメンフィスにあるラジオ局「WMPS」にディスクジョッキーとして雇われた。そして、すぐに彼自身のショー 「ボブ・ニール・ファーム・ショー」を受け持った。さらに、ニールはメンフィスの大通りで「ボブ・ニール・レコード店」を所有していた。 1952年にユニオン通り160番街に「メンフィス・プロモーション・エージェンシー」 を設立と同時に、彼はプロモーション分野にも進出した。

プレスリーのマネジャーとして、何よりもまず、エルヴィスのショーをやるために出演契約を取ることを考えた。

このサービスのために、彼はエルビスが得たすべてのお金の中から15パーセント受け取った。ニールの受け取り分と経費を差し引いた後に、エルビスは50パーセントそしてスコッティーとビルにそれぞれ25パーセントずつ分けた。1回の出演でおよそ200ドルから400ドルを稼いだ。

写真は、サン・レコードから出した3枚目のシングル。A面「ミルクカウ・ブルース・ブギ」とB面「ユー・アー・ハートブレイカー」