第10話 ザッツ・オールライ・ママ」がヒット

インタビューをするために、エルヴィスを連れ戻すように父バーノンに伝えた。エルヴィスは走ってやって来た。「そこに座って。いいかい、今からインタビューをやる」とDJのフィリップスは言った。急に言われたエルヴィスは「フィリップスさん、インタビューをやると言われても俺は何も判らないぜ」と応えた。「そうだな、わかった。ただ君は、私が話すことに対して応えるだけでいいから。ただし、汚い言葉だけは使わないように」そう言われたエルヴィスは、緊張しながら椅子に座った。「始めるときは、言うから」と伝えて2曲レコードをかけた。その間、二人は話し続けた。「ようしいいぞ。エルヴィスありがとう」「えっ、もう終わったの?」「そう、もう終わったよ」ラジオのマイクから電波を通じて、エルヴィスのインタビューが同時に流されていたのである。彼は冷や汗をかいた。

エルヴィスは確かに神経質になっていた。それには理由があった。
南部の白人達が「このニューサウンドを聴いてどのように反応するか」は完全に予測不可能だったからである。これはスタッフ全員の関心ごとであった。
ギターリストのスコッティー・ムーアは「きっと、街中の大騒ぎになるだろう」と予測した。また、サム・フィリップスはこのレコードが議論を巻き起こす要因になることを望んでいた。それが、良くても悪くても注目されるからである。

エルヴィス、スコッティー、ムーア、そしてサムの4人で今までにない全く新しいサウンドを思いつき、人種の壁を乗り越えて作り上げたものだった。プレスリーの歌は、忽ちメンフィスの一部の若者達に受け入れられた。当時の南部の白人はより保守的で、特に年輩者によって黒人の音楽は拒絶されていた。
「ザッツ・オーライ・ママ / ブルー・ムーン・オブ・ケンタッキー」は、メンフィス地域ですぐにヒットした。サン・レコードは5千枚のレコードの注文を受けた。マスター・ディスクをカットもしていない、それにエルヴィスと正式に契約も交わしていない状況の中でである。
エルヴィスは、7月12日にサン・レコードとレコーディング契約を結ぶと同時にスコッティー・ムーアとも契約を交わしそれにサインした。
そして7月19日「ザッツ・オールライ・ママ / ブルー・ムーン・オブ・ケンタッキー」(SUN209)が正式にリリースされたのである。