第9話 リクエストが殺到

成功と尊敬を得ることがモチベーションとなり、それに打ち込み励むことによって彼の本能が働き才能の花がほころび始めた。サム、スコッティー、ビル、そしてエルビスによってニュー・ミュージックが開発され、いよいよそれを完成させる時が来た。1954年7月5日、エルヴィス初めての商業用レコーディングがサム・フィリップスの指揮で行われた。スコッティー・ムーアとビル・ブラックの演奏でA面「ザッツ・オーライ・ママ」B面「ブルームーン・オブ・ケンタッキー」が吹き込まれた。

2日後、そのレコードをラジオ局WHBQでディスク・ジョッキーをしているデゥーイ・フィリップスのところへ持って行った。このラジオ局は「レッド・ホット・アンド・ブルー」と呼ばれるリズム&ブルースの曲を聴かせる番組を持っていた。1954年7月7日の水曜日、エルヴィスの歌がラジオから流れた。間もなく、ラジオ局のスイッチ・ボードに明かりがつき始めた。「ザッツ・オーライ・ママ」のリクエストが殺到したのである。当然のことであるが、これを聴いた誰もが「エルヴィス・プレスリー」とは誰なのか知りたかったことも事実だった。しばらくエルヴィスは、自分の歌がラジオから流れて来ることに神経質になっていた。両親のために、自分の歌を聴くことが出来るラジオ局にチューニングをセットした後、エルヴィスは近くにある映画館へ2本立ての西部劇を見に出かけた。


リクエストのハガキや電話がラジオ局に大量に届いた。デゥーイは、すぐにでもエルヴィスのインタビューをやらなければならないと考えた。そして、エルヴィスが白人であることを知らしめたいと思った。エルヴィスがヒュームス・ハイスクールに通っていた事実を知ら示せば白人であることを知ることになるだろうと考えた。エルヴィスが通っていた高校は白人の生徒がほとんどで、当時黒人の生徒はいなかったからである。サン・レコードのサム・フィリップスは「もし、黒人のサウンドと黒人のフィーリングを持った白人の男を見つけることが出来たら、俺は100万ドルを稼ぐことが出来る」といつも言っていた。DJのデゥーイも同感であった。