ブレンダ・リー シングル・レコード

ブレンダ・リーの本名は“ブレンダ・メエ・タープレー”。1944年12月11日ジョージア州アトランタの生まれ。5才の時に、ニューフェイス・コンテストで優勝した。番組のプロデューサーは、子供を雇わない方針だったがブレンダがハンク・ウィリアムスの「ヘイ・グッド・ルッキン」を歌うのを聴いてOKを出した。こうしてラジオやテレビに出演するようになった。

その後、カントリー歌手の“レッド・フォリーに認められ、フォーリーの全米ネット番組「カントリー&ウェスタン・ショウ」に出演。ペリー・コモ・ショーやエド・サリバン、スティーヴ・アレン・ショーなどにもゲスト出演した。1956年にデッカ・レコードと契約。最初のレコードは「ジャンバラヤ」だった。1960年に「スィート・ナッシング」がヒットし人気があがって来た。

15才の時にレコーディングした「アイム・ソーリー(邦題:ごめんなさい)」が大ヒット。全米ナンバーワンとなる。当時のプロデューサー、オーエン・ブラッドレーによると「デッカのお偉方が15才の少女に愛の詩を歌わせるのはどんなものか」と言う意見があって発売を数ヶ月見合わせることになった。しかし、発売されると見る見るうちにヒット・チャート1位の座に輝いた。続いて「乙女の青春(原題:アイ・ウォント・トゥ・ビ・ウォンテッド)」も全米1位を獲得。

その後「エモーション」「ダム・ダム」「フールス・ナンバーワン」「ルージング・ユー」などいずれもトップ・10入りするヒットを連発。コニー・フランシスと並んで、女性歌手ナンバーワンといわれるほどの人気スターとなった。その後、イギリスに進出。「グラス・イズ・グリーナー」「アズ・ユージュアル」「イズ・イッツ・トゥルー」をヒットさせた。ブレンダ最後のヒットはカントリーのシンガー・ソング・ライター、クリス・クリストファーの作品「ノーバディー・ウィンズ」でカントリー・チャートではナンバーワンとなった。デビュー当初に吹き込んだ「ダイナマイト」がヒットし、その歌い方から“ダイナマイト娘”と言うニックネイムも付いたほどのパンチの聴いた歌い方で、カントリー、バラード、ロック、ゴスペル、ジャズなど巾広いジャンルを歌いこなせる美人シンガー。

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