ビーチ・ボーイズ シングル・レコード

サーフィン・ミュージックの草分け的存在のビーチ・ボーイズは、兄弟と従兄弟で編成されたグループ。リーダーのブライアン・ウイルソン(1942年6月20日生まれ)一家はカリフォルニアのホーソン市に住んでいた。父のマレーは、ソングライターで、ブライアンが1才の頃から父親の歌をハミングしていたと言われている。

弟のデニス(1944年12月4日生まれ)とカール(1946年12月21日生まれ)、そして従兄弟のマイク・ラブ、そしてブライアンが高校の時にフットボール・チームで一緒だったアル・ジャディーンと5人でバンドを結成。1961年、両親がバケイションで出かけている間に、父親の音楽出版社、ハイト&ドリーン・モーガンにレコーディングの相談に出かけた。モーガンはオリジナル曲にしか関心がなかった。5人の中でただ一人サーフィンをやっていたデニスがサーフィンをテーマに曲を作ることを提案した。彼らはそのオフィスですぐに曲を作り始め、家に持ち帰って完成させた。両親がおいていったお金は楽器のレンタルに消えてしまっていた。

レコーディングスタジオで「サーフィン」と「サーフィン・サファリ」(ブライアンとマイク・ラブの共作)を吹き込んだ。キャンディックス・レーベルからリリースが決まった。次に必要なのがグループ名だった。ホーソン・ハイスクールでは、カール&ザ・パッションズと名乗っていたが、その時はザ・ペンドルトンズと言っていた。討議の結果、キャンディックスのプロモーターが出した案が通って、ビーチ・ボーイズに決まった。

「サーフィン」はローカルではヒット(カリフォルニア・ヒット・チャート3位)したが、全米チャート75位止まりだった。キャンディックス側は、他の作品には関心がなくなり次作のリリースを拒否した。62年のに暮れに、父親のマレーがキャピタルにテープを持ち込んで、契約に成功した。それ以降ビーチ・ボーイズの快進撃が続いた。「サーフィンUSA」「ファン・ファン・ファン」などのヒットを連発。それに続く「アイ・ゲット・アラウンド」は、7枚目のシングルで全米ナンバーワン・ヒットとなった。

他に「リトル・ホンダ」「ダンス・ダンス・ダンス」「グッド・バイブレーション」「バーバラ・アン」「アミューズメント・パークUSA」など数多くのヒットを飛ばし、ビーチ・ボーイズと言えばサーフィンと来るように、ビーチ・ボーイズ・サウンドを確立した。1963年にはアメリカはじめイギリスでもトップ・ヴァーカル・グループとなった。デビュー曲の「サーフィン」から始まった彼らのレコード・セールスは、1960年代に1500万から2000万枚と言われるほどの売り上げを記録した。

表示方法: 写真のみ一覧説明付き一覧

4

<ご購入に関して>
必ず「お買い物の留意事項」をご確認の上、ご注文いただけます様にお願い致します。
また、商品詳細ページに記載しております「レコード盤の状態」もあわせてご確認下さい。